川崎達郎の生い立ちストーリーを紹介!

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幼少期:

僕は、1984年北海道の旭川で生を受けました。

父が44歳、母が37歳の高齢出産で生まれた長男。

一人っ子だったこともあって、
たっぷりの愛情を受けてワンパクに育ちました。

よくイタズラをしでかしては、お尻をペンペンされたり、
「寺に修行に出す」と怒られ、阻止するために、
机の脚にしがみつき、泣きわめいていました。

ジャングルジムのてっぺんで、
おしっこをもらして大笑いされたこともありました(笑)

小学生時代:

父は普通のサラリーマン。転勤族でした。

小学生のころは、 札幌⇒室蘭⇒千歳と23年おきに引っ越しを繰り返し、
やっと仲の良い友達が出来た!と感じた頃に引っ越すというパターンでした。

友達との別れはとても寂しかったです。

小学校高学年で野球を始めました。

毎日、白球を追いかけた。

当時のポジションは6番・ファースト。

特別ウマいわけではなかったが
レギュラーになれ、楽しかった。

その当時、体がムチムチしていたので、
あだ名は「にくたい」でした(笑)

中学生時代:

中学からはずっと札幌に住めることになりました。

1年生のころは野球部に入っていたけれど、
全然楽しくなくてやめてしまいます。

1998年、サッカー日本代表が
初めてワールドカップに出場した年。

その興奮でサッカーがしたくなりサッカー部に入部。

ミーハーな思春期時代でした。

好きな女の子もできたが、
告白する勇気がなかったのを今でも覚えています。

同じクラスで席がとなり通しになったり、
普段の生活で肩や背中が触れあう度に、
とてもドキドキしていました。

「オレのこと好きなんじゃないか?」
というイタい勘違いまでしていました(笑)

高校生時代:

高校生になり、
今でも腹を抱えて笑い合える親友ができました。

毎日、一緒に帰ったり、好きな子の話で盛り上がったり、
チャリで小旅行にも出たりと、たくさんの時間を共にしました。

高校3年生の学祭でダンスを踊り、
それが意外と大盛り上がり。

一瞬モテ期が到来します!。
(まぁ、すぐに過ぎ去りますが・・・)

今でも「あの頃にもう一度戻りたい!」 と思うほど楽しい毎日でした。

お腹が痛くなるほど笑い、セピア色の思い出どころか、
クッキリ鮮やかな原色の思い出として脳に刻み込まれています。

大学生時代:

そして、免許を取った大学生。

行動範囲が一気に広がります!

夜な夜なドライブに行き、
心霊スポットを巡ったりもしました。

友達が次々とフラれ、「心霊スポットのせいだ。謝りにいこう」
というエピソードもあるくらいです(笑)

僕は一向にモテず、彼女もできなかったし、
告白する勇気も相変わらずありませんでした。

でも、友達と夜な夜な集う集会はとても楽しかったです。

北海道を3泊4日とかでほぼ一周したりもしました。

大学2年生のとき、母がガンで他界します。

ガンで余命宣告をされたという事実が
どうしても受け入れられませんでした。

1人部屋でずっと泣きじゃくっていた。

母が自分の目の前からいなくなるなんて信じられなかった。

だから、「絶対に治る」と言い聞かせ、
弱っていく母に普段通り接してしまっていたんですね。

もっと、あの時優しい言葉がけや看病をしていたら、、、
と後悔することが今でもあります。

ターニングポイント:

就活はスムーズに進みました。

地元のスーパーの鮮魚コーナーで
正社員として働き始めることに。

キツかった。

朝の6時から夜の22時まで仕事をすることも多々あったし、
上司からは罵声を浴びせられる毎日でした。

そんな時に、自己啓発書を読むようになり、
「自分はできる!」なんてことをブツブツ 言い始めたのもこの頃です。

自分には可能性があることを知り、
「起業したい」と思うようになる。

そんな矢先、父もガンになってしまいます。

入院先まで毎日玄米を届けたからか、
一時は全快になり「やった!」ととても嬉しくなりました。

でもその数ヶ月後、再発、転移が発覚。

母のときと同じ後悔はしたくないと思い、
退職をして、看病にあたりました。

でも、その数ヶ月後、父は母のもとに旅立っていきました。

父が旅立つ直前「立派な男になる」と宣言しました。

その時、意識がないハズの父が、
「コクン」とうなずいてくれたように見えたんです。

「頑張れ」と背中を押してもらったような気がしました。

現在:

そこから、いろいろな勉強を始めました。

本も1000冊以上は読んだし、
セミナー、教材もたくさん買い勉強しました。

その中で、「コピーライター」という職業に出会ったんです。

たとえ焼け野原になったとしても、
紙とペンがあればいくらでもやり直せる、稼げるスキル。

コレだ!と思いました。

それから、毎日売れたコピーを毎日手書きしたり、
音声や映像を見て必死に勉強をした。

メールマガジンやブログも書き始めた。

でも、すぐに成果がでたワケじゃありません。

数ヶ月かけ300名程度の読者を集め、
初めてセールスをした。売上はたったの300円でした。

自信がボロボロに打ち砕かれました。

このまま本当にやっていけるのか?

不安で不安でたまらなかった。

それにその悩みを打ち明けられる
仲間もまわりにはいなかったのです。

でも、諦めきれませんでした。

それに、就職するのは、
絶対にイヤだ!と強く思っていました。

だから、コピーライターの募集があればエントリーしたり、
高額な塾にも参加したりしてとにかく行動を続けました。

すると、そんなうちにいくつかの幸運にも恵まれ、
複数の起業家の方のプロモーションやセールスレターを
書かせてもらうことができました。

そして、数千万円という売上に貢献できたのです。

たぶん、この結果を7年前の自分に伝えたら

「そんなことオマエができるわけないじゃん笑」

と鼻で笑われていることと思います(笑)

でも、これは事実です。

とはいえ、まだまだ満足のいく
成果が得られているワケじゃない。

もっともっと多くの人に価値提供をしていきたい。

そして、自分ももっとお金持ちになって
資産家への道を歩みたい、というのも嘘偽りない本心です。

僕が今まで学んだことのなかで
強烈に印象に残っている学びがあります。

それは、

「全力で価値を構築・提供し、全力で受け取る」

という言葉です。

自分が価値を提供するだけではダメ。

逆に受け取るだけでもダメ。

提供と受け取ることがセットになって、
エネルギーの循環を起こしていかないと、
人生はウマくいかないという教えです。

だから、僕はこれから出会う人たち、
そして僕を信じてくれる人たちに全力で価値を提供していきます。

そして、全力で受け取っていきます。

今いる場所から、我々はかならず
理想の場所へとたどり着けることができます。

あなたにとって、理想の場所・生き方はどんなものでしょうか?

そこに行くための、
あなたのサポートができれば僕はとても嬉しいです。

あなたの人生が、より楽しく、より豊かになっていきますように。

心から、祈っています。